手書きの底力
最近携帯で何でも済む時代になり、文字を書くことを忘れがちな回遊です。
今日はそんな中、ペンでメモを取ることについて考えてみようと思った。
携帯に入っているカレンダー、メモ帳なども使っているのだが、何かが足りなく感じる。
自分だけかもしれないが、なぜ電子的なものでは物足りなさを感じるのか考えてみたのだが・・・1番は考えた軌跡が辿れることではないかと思う。
確かに自分が『多良福』という作品を考え、文章を作っていく作業は携帯のメモ帳で行う。
そちらの方が楽であり、修正も簡単にでき、コピー機能で文章をどこかに貼り付けることも可能だからだ。
しかし、大まかな作品の方向性、進行を考える際は手書きのメモ帳で考えることが多い。
そっちのほうが頭の中の考えを整理でき、考えやすいからだ。
考えたことの軌跡を辿れる。
1度ダメだった案も後から考えれば使えることもある。
さらにメモに書かれた複数の案をつなぎ合わせ、新しく展開や出来事を考えることもしやすい。
そのような自分の考えたことを過去から見ることができ、考えをまとめやすいことが手書きのメモ帳の1番のいいところではないか。
そんなことを考えた今日この頃。