信じるべきは自分自身
信じるの反対語は考える by池田晶子
誰かのことを『信じる』。
そういう経験は誰にでもあるのではないか?
仕事の帰りに音声配信アプリを聞いているとこの言葉が出てきた。
池田晶子さんとはどういう人なのか。
こちらで確認してもらいたい。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%A0%E7%94%B0%E6%99%B6%E5%AD%90_(%E6%96%87%E7%AD%86%E5%AE%B6)
ここでまた本題の言葉に戻る。
『信じる』の反対は『考える』。
誰かを信じている時、何か自分自身で考えているだろうか。
特に最近はインフルエンサーと呼ばれる影響力のある人たちがたくさん増えてきた。
そのような人たちが何か商品をお勧めする、もしくは仕事術、ダイエット方法などを公開する・・・好きなインフルエンサーから紹介されたりすると『信じて』商品を買ったり、仕事術、ダイエット方法などを実践するのではないか?
商品を購入し、いざ自分で使ってみると・・・使いづらい。
仕事術、ダイエット方法を実践してみると・・・結果が出ない。
そのような時何て言うだろうか?
『信じてたのに・・・』
ここで1つ気になるところがある。
信じるのはいいが自分で考えたのか?
購入する前、実践する前に自分に合うのか考えたのか?
好意を持つ者(今回はインフルエンサー)に対して自分の考えを主張しているだろうか?
おそらく『信じている』人たちは思考停止していると思われる。
恋愛などで相手に依存し尽くす方、宗教などにはまる方たちもこの感覚ではないのだろうか。
どんなに影響力のある人、大好きな異性・・・などなど極端に言えば『他人』である。
そんな『他人』の意見を100%受け入れることなんて無理だ。
100%受け入れようとしているのが『信じる』という行為なのだ。
あくまで『参考』程度に意見を聞き、自分自身で『考えて』行動することをお勧めする。